絵を・・・と思ったら                      荒井 康郎

 

 小さな子供が初めてクレヨンを持った時、喜んで紙に山程線をかくもので、注意さえしなければ壁だろうが、柱だろうが所かまわず描くものだ。また小学生の頃、校庭などで座っている時に、いつも地面に落書きした記憶をだれが持っているだろう。クレヨン、色鉛筆、絵具と、材料が変わるにつれ、時が経つにしたがい人は絵から離れていってしまう。 そして絵を描くのは「面白く無い」と言う声が増えてくる。それは、小学生の高学年ごろから出てくる言葉である。この頃から、いろいろな考えが子供の心の中に生まれてくる。それまでは、頭の中に在るものを描くことで満足していたが、やがて、目に見える形と描いた絵が全く違う事に気付いてくる。「目に見えるように描きたいが描けない。」ということから、嫌になり、離れてしまう。 

 絵を描くことから離れた人が「絵は苦手だから」という言葉をよく口にするけれども、絵を描くのに「こう描かねばらない」というものは無い。描き方は本人の好みの問題である。絵から離れてしまった人は、この「こう描かねばならない」が頭から離れないのでだろう。絵を描くにはデッサンも何も要らない、描きたいように描いた絵こそ、その人の本当の絵と言える。(ただ上手に見える絵を描きたなら、いくつかの方法がある。しかし、その道の専門家に成るのでなければ必要の無いことである。「絵が描きたい」、「絵が描けたら」と思った事が誰にもあるはずだ。人に発表する訳ではないのだから、絵が描きたいと思ったら、そのタイミングを逃さずに自由に描いてほしい。ニューヨークでは、だだの落書き好きが高じて、作家として活躍している人がいた。キース・ヘリングというこのアーティストは、東京にも店を出し、自分の作品をプリントして売っているほどである。チャンスはどこに在るか分からない。ただ『無』からは、何も生まれてこない。とにかく先ず筆なり、鉛筆なりを持ってみる事が大切だ。

 『絵』は描くだけでなく、もう一つ、「見ること」がある。そして、この鑑賞でよく聞くのが「分からない」という言葉だ。しかし、はっきりいって理解する事は専門家でも難しい事だ。現在著名な画家でも生前理解されず、その死後はじめて評価されると言うことが多くあることがそのいい例である。つまり、必ずしも分かる必要はない。それは、一枚の絵を見て、その絵が気に入るか、気に入らないか、又は、好きか嫌いかを、判断すればよいのだ。こう考えてくると大分偏った鑑賞になるが、何も嫌な絵を見る必要は無い。要は、『いいと思う』という感覚を大切にすることだ。これが、鑑賞の一番大切なことで、もっともっと沢山の絵を見れば、自分に合った絵に何時か出会える。素晴らしいものに出会う感激を少しでも多くの人に味わって貰いたい。今、「絵を・・・」と思っている人にこそ!

 

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