音と色彩について             荒井 康郎

 

 音に色がある。良い音楽ほど明確なイメージが浮かぶものだ。これは僕個人の事かも知

れないが、たとえばビル・エバンスのライブ。ピアノの音とグラスのぶつかる音は煙草で

かすんだライブハウスのテーブル。たとえばラフマニノフのラプソディー。静かな湖面に

浮かぶボート、水面に揺れる影(これはほとんど映画「ある日どこかで」のイメージ)。

偶然ラジオから流れてきた曲に、懐かしい思い出が一瞬よみがえるのも、総天然色だ。明

るい音、すなわち明るい色。音には色がある。

 そしてこの音楽ほど不思議なものはない。形として存在せず、重さも、においもない。

その目に見えないはずの音が、どうして人の心の中にイメージを作るのだろうか。一瞬、

一瞬にして消えてしまう音だからこそ、深く心に残るものなのか。そういえば、絵画を見

て涙を流すというのは聞かないが、音楽を聴いて涙を流すということはよく聞くことだ。

こんなに美しくそして儚くきえる芸術はないだろう。

 この一瞬をタブローにした画家がいる。ワシリー・カンディンスキー、彼は大変理論的

な芸術家であり、その対象の無い絵画ゆえに音楽というモデルの美しいハーモニーを表現

することが出来たのである。色彩が響き合い、美しい音を作り出しす。これは、決して文

字や音では伝えられないハーモニーであり、目で見る音である。

 カンディンスキー自身が後に「思い出」の中でこう語っている。「ある日、物思いに耽

りながらスケッチから返って来てアトリエの扉をあけた途端、私は突然そこに、何とも言

われぬ不思議な美しさに光り輝く一枚の絵を見出した。私は吃驚して足を止め、その絵を

じっと見つめた。それはまったく主題のない絵で、一見何だかわからない対象を描いてお

り、全体が明るい色彩の斑点で出来上がっていた。だが、もっと近くに寄ってみて、よう

やくそれが何であるかわかった。それは、画袈の上に横倒しに立ててあった私自身の絵だ

ったのである・・・・・」    

 この経験のあと二年の間、対象を消し去るためのいわば模索と苦闘の時間を経て、完全

な抽象作品にいたるのである。                         

 一瞬のひらめきや感動が深く心に残ることがある。まさに彼の場合はその良い例である。

多くの感動がより一層自分を高めるものであり、その経験によって自分自身の人間的幅

がひろがるものだ。

 学生時代、僕は絵を本格的に始めたので、新しい趣味に音楽を選んだ。ギターを弾き始

めて、絵をかくように曲も作った。ちょっとした経緯でその頃の曲を演奏することになり、

久し振りにそのテープを聴いてみて驚いた。すっかり忘れていたその曲はなっかしさよ

りも、忘れかけていた熱い思いがあった。普段は時間ばかりかかって一向に曲ができなか

ったが、それは自分ではもっとも早く仕上げた曲だった。

 自分の気持ちが高ぶっているときは、やはりその時だけしか出来ないものがある。感動

とまで言わなくても、心に残るものならその期を逃さずとらえるべきである。音楽でも、

絵画でも。自分の感動を伝えるのが音であるか、色彩であるかの違いでしかない。観客は

感動を追体験する。その感動は新たな感動である。より大きな感動を与える為には一層自

分の感覚を磨き、そして、多くのものを受け止める器と、多くのものから選択する目を養

わなくてはならない。今は音と色彩が街に溢れている。自分のアンテナをしっかり持てば

こんなに素晴らしい時代はないだろう。多くの情報という部品を集めて自分自身を組み立

てることは、楽しいことである。

 音と色彩・・・・・いいものだ。

 

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